現代の神話「アニメ」

物語世界に神がいることはなぜ許されるのか。

現代日本で神様がいるとして、他者に公言することははばかれる。

内心では様々に自由ではあると考えられているが、あるいは科学信奉者として、神は否定するのが常識である。

しかして、アニメなどの作品に神は多数登場する。

現実世界を描写したもの、美少女もの、ロボットもの、ヒット作品にも多数登場する。

神を名乗らずとも絶対者として、その物語世界に君臨する。

観客はなぜそれを受け入れるのか。

アニメはその見た目から現実ではなく、作り物であることを大前提として提示する。ドキュメンタリーや真実を描くものとしてはとにかく不得手だ。

逆に、物語として、エンターテイメントとしてはとても受け入れやすい。現実との距離が遠いからだ。

実写では、役者の顔がちらつく。背景、ロケ地に気を惹かれる。観客と物語の世界が近く、制作者が創作する世界観とはどうしても余分な情報を与えてしまう。

芸人に、前科のある人に、騒動のある人に創作世界へのキャラクターは先入観がつきまとう。これは制作者にはコントロールできない。

アニメでは観客が見える役者は絵であり、人ではない。統一性を物語だけで完結しており、そこから飛び出ることは難しい。

アニメが問題になるのは社会問題のい標的になる時だけだ。東日本大震災後の津波シーン、少年少女の残虐事件の際の、グロテスク作品。

異形の存在、絶対者、神は神話にのみ存在が許される。アニメは宗教になりうる可能性を保ち続けている。

 

極論かな