観客とカメラとキャラクター

映像には三者の関係を意識する。

・観客

・カメラ

・キャラクター

 

・観客

観客は制作者にとって一番遠く、把握しづらく、難しい存在である。また唯一、完全には思い通りにならぬ存在である。しかし、彼らこそ映像の見せるべき目的の相手である。彼らに伝えたい、見せたいからこそ制作するのであり、それ以外に目的はない。

彼らは場所、時代を越え、利益を制作に与えてくれる。

 

・カメラ

カメラは映像の制作側の唯一の絶対条件である。最低限、カメラだけあれば全ては映像になる。

カメラには制作側の意思が入る。意味と目的を持って存在し、フレーミング、カメラワーク、撮影技法は演出そのものであり、そのフレーム内の変化の全てを司る王様である。カメラはしかし、その唯一の特殊性としてPOV(Point of view)が挙げられる。視点という概念である。これは観客にもキャラクターにも或いは第三者にもなることができる。そして観客とキャラクターを繋ぐ唯一の橋渡しの存在である。

 

・キャラクター

キャラクターは、物語の構成要件であるものの、絶対条件ではない存在。これが映らなくても物語は進行、意味を持たせることができる。しかし、物語を語る上でその効果は絶大である。そのコントロールは制作にとって難しい存在である。キャラクターには先入観、造形の美醜、など映像の時間、物語の時間を外れて存在することができうる存在である。映されるモノとして、被写体としての存在は時に、観客と同一視され、或いは客観視もされる、自由に憑依を行き来させることができる。

物語時間を外れて存在することができるため、広告やファンアートに利用されることが多い。なので、そのイメージ戦略には注意を要する。

 

ヒッチコックはこれら三者の情報の格差こそがサスペンスを生むとしている。

以下のシーンを想像して欲しい。

2人のキャラクターは椅子に座り雑談している。

カメラは椅子の下の爆弾を写し、タイマーが残り少ないことを示す。

再び、2人のキャラクターを写し、リラックスしている様子を写し続ける。

 

このシーンではカメラが観客に教えて、キャラクターだけが知らないという情報の格差がサスペンス(緊張感)を生む。観客はこの時に、キャラクターに感情移入する。

これを志村うしろうしろ!方式と日本では呼ばれるべきである。